のんびり世界を眺めて

31歳で希少がんステージ4が発覚した病弱だけど楽天家な妻と、仏様のように優しいサラリーマン夫の日常

パートをしよう

今月末にパートの面接を受けることにした。

受かれば久しぶりに働くことになる。しっかり業務をこなせるだろうか。毎日通えるだろうか。コミュニケーションが取れるだろうか。カツラはずれないだろうか。ドキドキ。

 

前職はフルタイムで仕事をしていた。

病気が判明すると同時に入院生活に突入した。何の準備をする間もなく、画像診断の結果を聞くために病院を再訪しそのまま家に帰れなかった。仕事もそのまま辞めることになった。

 

幸か不幸か何が何だかわからないまま、ICUに放り込まれ、翌朝緊急で病理診断のための手術を受けた。前日まで仕事をしていたのに、翌日には足に点滴を指され、そのまま一週間はベッドから起き上がることさえ制限された生活が待っていた。携帯電話を持ち込むことも出来ず、職場に連絡をすることもできない。家族がいなかったら、こういった場合にどうなるのだろう。連絡も取らず私は突然失踪したことになっただろうか。

 

すぐに退院できるつもりでいたけれど、一般病棟へ移動した後も一向に退院の話がでない。それどころか、自由に歩き回ることさえ許されない。自分で連絡ができるようになってから上司に状況を報告し、ずいぶん考えた。好きで就いた仕事、人にも恵まれ、毎日のほほんと楽しく仕事をしていた。けれど、もう戻れるのかもわからない。少人数の職場で何カ月も席をあけることも憚られた。1カ月半が過ぎるころ、依願退職をした。

 

状況が改善し、手術が受けられることになり、その後も治療を続け、結果、あの日の入院から10カ月、以前と同じ状態ではなくなってしまったけれど、日常生活は問題なく送れるようになった。一時は5分と持たずに足から力が抜けて立つこともままならなかったけれど、そんなことがあったなんて嘘のように、今は坂道も歩けるし、小走りもできる。入院時には気道が腫瘍に圧迫され呼吸がうまくできず、横になって眠ることができなかったけれど、今は寝すぎてしまうくらい。

 

それでも、前の職場に復帰することは今の体調的に難しそうに思う。夫がいてくれるからこそできる、甘えた考えなのかもしれない。どんな状態でも働いている人はきっといくらでもいるんだと思う。そう思うと、なんだか自分は弱虫だなと思う。以前の私だったら弱虫なんて嫌だから何が何でも働いたかもしれない。けれど、今は弱虫でもいいと思う。入院以来、私にとって何が大事なのか嫌なほど考えさせられた。収入は減ってしまう。これから諦めなくてはいけないことも増えるかもしれない。それでも、私は夫と共に過ごす時間を何よりも大事にしたい。夫もそれを願ってくれる。だから、私たちにとってはこれで良いんだ。

 

ただ、何もしないと落ち着かない性分。ということで、近所でパートをする。社会復帰の第一歩!がんばれ自分。一先ず面接!